敬神生活の参考になる良い話です。

もと伊勢神宮主典・山口起業氏が各地の実話を集めて集大成した神判記実の口語版より
(原本が口語版とは言え現代の人には読み難い漢字と文体の為、更に現代的文章にしてあります
(HTML版の頁の方は多くの漢字に仮名を振ってあります。読み難い方はそちらをご利用下さい。)

--- 母の罪を贖(あがな)い長生(ながいき)した話 ---    (贖(あがな)う とは償(つぐな)う、という意味です)

山城の国の小塩という里に、足羽年足(あすわとしたり)と云(い)う人が居た。
やむを得ない事情があって、夜になってから山路を越えなければならなくなったが、急に雨が降ってきたので、
大変困りながら急いで進んで行くと、傍(かたわら)に神社があったので、これ幸に少の間と思い立寄り、
神前に額(ぬか)づいて雨宿りさせて頂くことをお願い申し上げ、
傍の斎館と思われる軒の下に雨を避けて晴れ間を待っている間に暗くなり、
夜はしんしんと更(ふ)けていった。雨は篠つくように、ますますひどく降ってきた。

誰一人通る者のない山路に、一人で心を傷めながら (せめて風が止んでくれないものか) と思っていると、
神殿の前で小さく音がして、低い声ではあるがキリっと
  「八幡の神の御使い」 と名乗られる声がした。
おや変だなと聞いていると、此方から
  「どのようなご用件か」  と、とても気高い声で答えられた。
一体どうしたことかと耳をそば立てて聞くと、御使いと名乗られた神の声で
  「三島の時彦は誠の心で善く神に仕え、常に祓の詞(大祓詞と思われる)を誦えて長年になる。
  さて、彼の母という人は罪によって天に復ることができないでいるが
  今は時彦の功績によって天に生まれかえらせて頂きたい。又、時彦の寿命を二十年
  延ばして頂きたい。 このように計らい給え。」  と、宣うように聞えたと思ったが、
その後はいくら耳を澄ませても、只雨の音と風の声に紛(まぎ)れて、又た宣うことも聞こえなかった。

年足は不思議に思いながらも夜が明けるまで雨宿りして居たが、夜が明けてからもまだ雨(あめ)は
ドシドシ降っているので、誰か通る人はないものか、と待ちくたびれているところへ、
一人の男がやって来て神前に額づき、祓の詞を唱えて願い言をする様子には、いかにも誠の心が
顕れているので、 年足は心の中でうなづきながら、その神拝の終わるのを待って、
  「貴方は時彦といわれる人ではありませんか」 と、問いかけると、その人は不思議そうな面もちで、
  「なぜ、私の名をそのように知っておいでなのですか」 と答えた。
年足は、これは昨夜のことは疑いないことだと思って、
  「先ずはこちらへ」 と、云って近くに招き、有ったことを皆詳しく聞せてやると、
時彦は涙をハラハラとこぼして、
  「ああ、なんという尊くも嬉いことを聞くものでしょう。実はどうしたことか
   母が生きていた時に、罪を犯されたように思われたので、
   亡くなってからは其の罪が消えるかも知れないと、明け暮れ祓の詞を唱えて居りました。
   この神社は、若宮八幡宮と申し上げて、私の産土の神社で御座います。
   さて、御使いをよこして下さったのは、この山の麓に鎮まります高屋八幡宮でございましょう。
   私は毎月七度はお詣りして長年お頼み申し上げて居りますのです。」 と、云う。

さてお互いに神の御計らいの尊いことに感謝を申上げて少しすると、雨はやや晴れ間になり明るくなった。
年足は「それでは」と云って時彦に別れを告げて先を急ぎ、
時彦は更に神前にお礼を言上して、麓の高屋八幡宮にも参拝したのであった。
これをきっかけにして二人はその後兄弟のように思いあって、神の道を尊んだということである。


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